イヌワシの翔ぶ谷

黒部の仙人(高橋重夫)

若い頃からの夢だった山小屋の経営に携わって10年が過ぎた。
『大変だよ・・』『体がきついよ・・』と仲間が心配してくれたが、山が心底好きだったのでなんとか乗り切れている。
剱岳に惚れて通っているうちに、仙人温泉小屋と知り合った。
人間に寿命があるように、山小屋にも耐用年数という寿命がある。誰かがお守りをしてあげなければ、小屋は朽ち果ててしまうのだ。山男が惚れた山域に明日にも倒壊しそうな小屋があれば、助けたい、力を貸してあげたい、と思うのは人情の常だろう。
前経営者が小屋を譲りたい、というので二つ返事で引き受けた。その時、50歳だった。
小屋開け、小屋閉めの作業を一通り説明して貰った翌年、張り切って乗り込んだ仙人温泉小屋は、クマに室内を荒らされていて、ひどい状況であった。
食器、炊事道具、大工道具、布団、着替え、・・・・・。何一つまともなものはない。
金額に換算すれば、ざっと50万円ほどの損害だった。
本業で1千万円の損失を処理した年だったので、本当に辛かった。でもー、男だからメソメソしてはいられない。現実に背を向けては何も解決はしない。
虚勢だろうが、何だろうが、前を向いて頑張るしかない。思いっきり奥歯を食いしばって・・・。
10年間で4回、熊に小屋を荒らされてしまった。その度に、パートで働きながら貯めた僅かばかりの“ヘソクリ”を全部出してくれた女房には感謝しても仕切れない。一生頭を下げ続けるつもりだ。
熊に室内を荒らされるたびに、奥歯を食いしばって力んでいたので、歯がぐらぐらになってしまった。下山すると直ぐに歯医者さんに通うはめになった。その時間的損失と金銭的出費も痛い。
でも熊を憎んだり、恨んだりは出来ない。4年前の晩秋に見た熊は飢えていて、ひどく痩せていた。小屋から遠くない沢筋を力なくふらついている姿は哀れだった。
が、人間の食料を与える訳にはいかない。仙人谷は国立公園の特別保護区なので、自然界のことは、自然のままにしておく義務を小屋の関係者は負っている。
けれど、去年の10月13日に、熊に襲われて肘と尻に裂傷を負った登山者が小屋に駆け込んで来た時は、正直言って驚いた。
人間が熊に注意して出会うことのないようにしていれば、ツキノワグマは決して人を襲ったりしないが、熊の被害を間近に見ると、どうしたものかと複雑な心境にもなる。

森の王者がツキノワグマなら、空の王者はイヌワシだろう。2メートルはあろうかと見える両翼をピンと張って、音を立てずに旋回する姿は、思わず山仕事の手を止めて見惚れてしまう。
遠い距離では黒一色にしか見えないが、100メートルくらいの距離に近付くと、頭部が金色に輝いているのがはっきりと確認できる。故に、外国ではイヌワシを「ゴールデンイーグル」と呼称している。
イヌワシは野ウサギ、山鳥、蛇を主な食料にしているが、まれに猿を襲うこともあるし、トビを空中で捕らえることもある。どう猛な鳥なので、その生い立ちも目を背けたくなるほど残忍だ。
繁殖期のイヌワシは、日をずらして2個の卵を産む。当然ながら先に孵化した幼鳥の方が成長は早い、遅れて孵化した幼鳥はいじめ抜かれて殺されてしまうのだ。
先に孵化した幼鳥は、餌を独占するために、遅れて孵化した鳥を決して生かしてはおかない。日本の山野では、二羽の幼鳥を育て上げる食糧を親鳥が確保出来ないための、悲しい現実である。

母親を知らない。父親と遊んだ記憶もなくて育った私が、今仙人と呼ばれて熊とイヌワシの棲む谷に山暮らしをしている。これも運命か宿命か解らないが、事実であり、確かな現実である。
訳もなく殴られたり、陰湿ないじめにあったりして育った少年が辿りついた山小屋。
秘境と言われる仙人谷で、あと何年山暮らしが出来るかは分からない。
けれど、熊とイヌワシと近しくなれただけでも充分満足できる人生だと思える。人も、熊も、イヌワシも育って生きることは楽なことではない。
出来るものなら西行のように、

                願わくは黒部の谷に春死なむ
                     その雪代の水の澄むころ

と、60歳になって思う今日この頃である。

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