「不思議なめぐり会わせ」

仙人温泉小屋スタッフ  田中 正祐紀


どうしてこの小屋で手伝いをしているのかを考えると、我が事ながら不思議なめぐり会わせである。
都会のサラリーマンだったころは、家族旅行で木曽駒や西穂高へ行くくらいで、 単独での登山や小屋番をするようになるなど、思いもよらなかった。
すこし長くなるが、このめぐり会わせを振り返ってみたい。
 高校1年の夏、中学の同窓生2名と一緒に北アルプスに行った。みんな初めての登山だった。
天気もよく小屋泊まりで、表銀座を槍や穂高を見ながらウキウキして歩いた。
蝶ヶ岳から大滝山の山荘に着き、そこに泊まり、上高地に下山という朝に道を間違えた。 ご来光を見た後に3名が進んだ道は、徳本峠方面への尾根道だった。
やがて道は藪になり、下山していると思い込んだ3人は道を間違えたことに気付く。
 戻ればいいものを、道などないのに、北に下りていった。 やがて急な沢になり、足を滑らせ、顔面を岩で打ち、血だらけでズルズルと落ちた。
倒木に引っ掛かり助かったが、そこから3人でロープを使い必死で沢を抜け出した。 上高地に着いたのは夕方だった。 その日の夜行列車で逃げるように帰って来たのを今でも憶えている。

 45才になり、ふと残りの人生を思うと、山を避けている自分が情けなくなった。 休日になると身近な山を一人で歩き始めた。 すぐに息が切れ、足の筋肉は痙攣し、2時間も歩けなかった。 しかし、山の危険に接して、切り抜けられる自分になりたかったので、 さらなる体力づくりも苦にならなかった。
会社が終わってから夜の東京を週2〜3回、ジョギングした。 週末の登山と走ることで、山を歩き続けられる時間は長くなっていった。
それが6時間になったとき、48才で北アルプスに一人で行った。
 上高地から槍ヶ岳を目指した。肩の小屋で見た夕日と雲海、西鎌尾根の花、鏡平の池に映る槍穂高、 どれも言葉を失う景色だった。でも、何よりも新穂高温泉に向かう林道歩きが心を充足感で満たした。 無事に下りて来たのだと心底思えた。 その後、霧や雨、雷、強風、道迷い、転倒、沢登りなど山での経験が自信を与えてくれた。 山で歩き続けられる時間は10時間になった。 おまけにフルマラソンを完走できるようになった。
 剱岳に行ったのは、50才の夏だった。 剱沢にテントを張り、剱岳の山頂からの眺めを一人で満喫した。 阿曽原温泉まで行く予定で裏剱を歩いたが、途中の仙人温泉で主人に聞いたら、 ここからでも欅平に1日で行けるということで、泊まることにした。 山深く、静かで、沢の音が聞こえ、露天風呂があり、洗濯機もある。 単独行者にとっては願ってもない小屋だった。
 翌年、もう一度、剱方面を歩きたくなり、黒部ダムから下ノ廊下を歩いた。 仙人ダムで午後3時だったら、仙人温泉へ、それを過ぎていたら阿曽原温泉へという計画だった。 着いたのは3時10分だったが、足は雲切新道に向かった。小屋に着いたのは日も暮れた6時だった。
予約もなく非常識な時間に到着したにもかかわらず、主人は「黒部ダムからよく来た、よく来た」と言い、「 今から何か作るよ」と言って奥に入っていった。
夕飯が心に沁みた。
 翌日は雨で、連泊することにした。 雨の中、主人が缶ビールの空缶に花を活けて石の上に置き、合掌していた。
宿泊客は少なく、焚き火にあたりながら主人とゆっくり話しができた。 聞けば、昨年、小屋を手伝っていた2名が槍ヶ岳で落命してしまったとのこと。 小屋の手伝いはアルバイトではなく、ボランティアであること。 よかったら、やってみてくださいとのこと。(実は、このときは冗談だと思って聞き流した) 翌日はすっきり晴れて、池の平にテント泊をして、ハシゴ谷乗越を越えて帰った。
 52才の新年、小屋の手伝いをやってみたいという思いが抑えきれなくなった。 長年勤めた会社を辞めて、父の仕事を継いだことで自分の時間ができた。 2人の子供も手が掛からない年齢になっていた。 何よりも無償の手伝いというところが気楽だった。
女房に相談すると、「やってみれば」とのこと。 すぐに主人宛に手紙を出した。返事はOKだった。
その年は2回、小屋の手伝いをした。 思えば、試用期間のようなもので、隠されたテスト項目がいくつもあった。 なにせ、料理ができない。接客なんてしたことがない。こんな自分を使ってくれる主人の気持ちが知れなかった。 だから、いつかあいそをつかされて、もう帰ってくれと言われるのではないかという不安があり、 手が遅かったり、言われたことを憶えらなかったり、忘れたり、失敗をする度にヒヤヒヤしていた。
実は、無償の手伝いゆえに甘えは禁物だということに、気がついた。 また来年も来てくださいと言われて、握手で別れたときは、ホッとしたし、 新たなことを、まだまだやれる自信にもなった。
 家では、朝食は毎日自分で用意するようになった。キャベツの千切りと卵焼きは必ず作る。 時々、炒め物や汁物も作る。
「よく続くねー。上手になったねー」と言う女房の顔がうれしそうだ。
 今年は、3回、小屋の手伝いをした。 ヘリの荷受け、温泉の引き込み、断水の修理、小屋の補強(大工仕事)、小屋番、小屋閉めに関する作業などをした。
また、泊まっていただいた方々との出会いや、同じ小屋の手伝いをしている方々と知り合うことも、 思いもかけない貴重な経験であり、ありがたいことだった。
山に深く関わることは、山を愛することになる。
今では、この不思議なめぐり会わせは、私の運命として喜んで受け入れられる。 ゆえに、若かりし頃の沢転落時のアゴの傷は、気にもならない。

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