「息子と小屋番」

仙人温泉小屋スタッフ  田中 正祐紀


「小屋の主人とその息子はいるけど、小屋の手伝いを親子でやるというのは見たことがありませんね。」と 真砂沢ロッジでアルバイトをしているSさんは言った。
小屋で、息子と一緒に夕食の配膳をしているときだった。
なんだか、たまたまそうなったような気がするが、 こうなるといいなと、なんとなく心の中で望んでいたかもしれない状況だった。 でも、この一言で、かけがえのない時を過ごしていると感じた。
 息子は大学生で、コンピュータ関係の勉強をしている。 中学、高校とゲームが好きで、外には出ず、親から見れば、ほとんど中毒状態だった。
本人は勉強とゲームの両立と言っていたが、私たちの時代は、勉強とスポーツや恋愛だったはずだ。
何を考えているか分からず、親は不安な日々を黙々と過ごしていた。 あるとき、決してゲームに溺れまいとしている様子が分かり、 そこをどう折り合いをつけていくかを見とどけようと思い、 口を出すのはやめて、本人に任せることにした。
彼は自分で受験校を決め、希望校に合格した。そこでゲームを作る側の人になるための勉強をするという。
 大学2年生の夏休みに、山の大きさを体感させたくて、谷川岳に誘った。 彼は古い私の登山靴を履いて、二人で厳剛新道を登った。
頂上付近や下り道では、いい顔をしていたが、翌日は階段の上り下りも苦しそうな筋肉痛になった。
何がきっかけか分からないが、冬休みに帰省した息子は、 大学の周りをジョギングしたり、筋トレをしているそうだ。 また、昨年からアルバイトを始めた。 接客、レジ、商品陳列、在庫管理などをしているという。

 今年の3月、息子はバイト先で東日本大震災に遭遇し、そこは被災地になった。
情報が何もない中、春休みだったので、自分の判断で自転車で実家まで帰って来た。
停電の真っ暗な町や国道を15時間走り続けた。 そして、大学が5月に始まる前に同じ自転車で戻って行った。
バイトと震災が彼を少し頼もしくしたようだ。 夏休みで帰省中の息子に、小屋の手伝いを9月にすることを話すと、一緒に行きたいという。 さっそく、主人に電話で無理な息子の希望を伝えると、一緒に来ればいい、という返事。 予想もしなかった展開にびっくりしてしまった。
  こうして、息子と二人で小屋に行くことになった。
息子は大雨の雲切新道を新調した登山靴で登った。 雨具など、どうでもよくなる見事な降りだったので、途中から汗と雨で濡れるにまかせた。
小屋に着いて、露天風呂に入ると、彼は谷川岳で見せたいい顔をした。 温泉に入ると自然と頬がゆるむそうである。
翌日は、雨が上がり、主人が今日は剱が見えるから二人で散歩してらっしゃいという。
仙人池は、剱を静かに映しており、池の平まで足を運んだ。 親子で剱岳を見ることがあるとは、ちょっと想定していなくて、うれしいというより、 足が宙に浮いたような感じになってしまう。
 小屋に戻ると突然、主人が用事のために富山に下山するという。2晩の小屋番をすることになった。 実は、小屋番など初めてで自信がなかったが、息子とならその不安も半減するような気がした。 主人にしてやられた感じだが、二人で喜んで引き受けた。 彼は自炊をしており、料理も私より上手だ。
雨続きで宿泊者は1名だったが、おでん、山いも、フキの炒め物、キュウリの塩もみなどの夕食を作った。
朝食も共同作業だ。息子は卵焼きとベーコンを上手に焼いた。
 お客さんを送り出してしまうとホットして、息子は雨の中を露天風呂に入った。 そこへ、20名ほどの団体(ほとんど女性)がトイレに立ち寄った。
カラフルな雨具を着た13名の女性が一列で進む。 「まあ、お風呂があるわ」などと声があがる。 うかつにも息子はタオルを持っていなかった。 黄色い声が飛びかう中、桶で前を隠し、脱衣所へ走った。 若い男が、ちょっとサービスしすぎたようだ。
 天気も回復したので、山々に電動ドライバーの音を響かせ、宿泊棟の壁を修理した。
布団を屋根に干していると主人が戻って来た。 富山名物のカジキマグロの昆布ジメを運んで来てくれた。
最後の夜は団体を含め15名が宿泊した。 夕食と朝食を主人と共に用意した。 大勢のお客様を、笑顔で見送ることが出来てよかった。
下山の日は快晴。息子と共に満ち足りた気分で雲切新道を下った。
しょせんは、つかのまの、一時的なほろ酔い気分のようでもあるが、 時の経過とともに、心に深く刻まれた仙人谷の思い出となった。

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