「桜 鱒」

黒部の仙人(高橋重夫)


花見ればそのいわれとはなけれども
  心のうちぞ苦しかりけり

と詠んだ西行の庵(いおり)を吉野山に訪ねたのは、もう十年前だ。
山小屋のお守りをしてからは、心にも暮らしにも余裕がないので京都にも奈良にも行けてない。 誕生日が4月16日のせいなのかどうかは解らないが、桜の季節になると心が落ち着かなくなります。そして、自分の人生を花の下でふりかえってみたくなります。

 関東地方では見ることができませんが、東北の川には今でも桜鱒という、鮭に似て海と川とを往来する鱒がいると言います。桜鱒という名を聞くだけでなぜか、妖しい胸騒ぎがするのです。 聞いた話によりますと、その桜鱒と、雄の山女魚との交配により川で産まれた稚魚は銀毛、とか光、と呼ばれ、ふた冬を川で無事に越すことが叶うと桜の花が咲く頃に、陸封型の山女魚よりも淡い銀白色に魚体の色を変えて、海に向かい群れをなして一斉に川を下り出すとのことです。
母親である雌の桜鱒は、産卵をすることが生命の果てであるらしく、雄を残して、幼魚の顔を見ることもなく絶命するのです。 生涯を川で過ごす雄の山女魚は幼気ない稚魚を見守るためなのか、惜別の情にかられてなのか、海辺に近い河口まで幼魚につき添うらしいのです。その真偽のほどは解りませんが、如何にもありそうな話なのです。  私が桜鱒の子である光、と送り山女魚の話を聞かされて安家川(あっかがわ)を訪れたのは、桜の蕾がほころび初めて、川面がうすく染まりだした頃のことでした。
奥蝦夷(おくえぞ)と呼ばれた岩手県北部の、深い山あいを流れる安家川のほとりには古い日本の原風景を見るような村むらが点在していて、谷間の川べりの一軒一軒の家をとり巻くように田や畑があり、わずかばかりの果樹も植えられています。余分なものはなにひとつない、ほっとするようなその光景からは、つつましやかな村人の生活を想像することができます。
 現世の社会におきましては、人間の良心を押し通して生活をするには、偏狭で窮屈すぎるような気がします。社会に背を向けて、ひたすら自分だけの内面の姿を模索して、疲れて何も考えられなくなると、釣りの旅に出かけるのが習慣になっていました。 それは、孤独をたのしむ旅だったのかも知れません。
中学一年の時に家庭の混乱があり、不健康な実社会の洗礼をうけるのが早かったこともあって、放浪することにも慣れてしまったようです。

 安家川沿いに、流れをはさむようにして元村の集落があり、左岸の中ほどに、「かむら旅館」という商人宿があります。宿の小さな生け簀を覗いて見ますと、尺五寸以上はある岩魚が二尾入っていました。宿の主人が毛鉤の名手だと聞かされて、なるほどと納得しました。
土手には桜の木が立ちならび、北国の遅い春の匂いがそこはかとなく漂っていました。
桜の花と言えば、見つめているとその艶やかさとは裏腹のもの憂く哀しいような情緒が迫ってきます。それは昔、桜の木の根元には屍体が埋められているから花が美しく咲くのだ、と聞いたことがあるからでしょうか。
 流水が燦然ときらめき、眠気をさそう春の風が川面をとおりぬけて、流れにのった毛鉤を目で追うのも散漫になりかけていた時のことでした。
向こう岸の桜の花影にじっとふし目がちにおし黙り、こちらを見ている麗人が目にとまったのです。流れに立ちこんでいる冷たい感覚も手伝い、背筋にひんやりとしたものが走るのを感じました。
そして、その女が手招きをして呼んでいるようで、ふっと誘われるように深みへ踏み出した瞬間、女の顔にかすかな微笑が浮かんだような気がして、私はしばし正気を失いかけました。 と、その時です。胸まで流れに浸りこんでいた私の太ももに、ごつっ、ごつっ、と山女魚が体当たりしているような感じがして我に返ったのです。
あわてて岸へ駆けもどろうとしたのですが、流れがはやいために体がいうことを聞いてくれません。水の中で転びそうになったとたん、顔一面にしぶきを浴びてしまい、つい竿を手放してしまいました。あっという間に竿は急流にのみこまれて、下流の淵に沈んでしまったのです。 やっとの思いで岸にたどりついた私は、濡れた着物をとりかえながら対岸の桜の木の下を見やったのですが、もう人影はなく花びらが散っているだけでした。
「・・・・」
もしあの桜の麗人が幻影というものなら、幼子三人と嬰児を残して夭逝した私の母の空蝉の姿だったのかも知れません。
そう言えば、彼岸の墓参りも疎遠となり、釣り惚けていた日々でした。
「マス……。」 それが私の母の名前です。
それからあの魚、水中で太ももに必死の体当たりをしてた精悍な山女魚。もしかしたら母を追うようにして七年後に他界した父の化身だったのではないでしょうか……。
妻や子をかえりみず、ただただ釣りにのめりこんでいた私が目を覚まさなかったなら、暗く深い淵に沈んでいたのは竿ではなく私だったろうと思うと、おそろしい気持ちに襲われるのですがまた、不思議とありがたい気持ちにもなるのでした。
母の顔も知らず、父と遊んだ記憶もなく、命をあたえただけで逝った父母を慕いながらも、何度二人の名を罵倒したことでしょう。 けれどもう心が澄みました。 春の盛りに咲きこぼれる桜を見つめながら、頬にあふれてくる涙をとめることも、拭うこともできずに私は、安家川の清明な流れを見いっているだけでした。

誰が名付けたのか存じませんが、送り山女魚という言葉の響きは耳から離れません。
二児の子育てを終えた今、それはますます忘れ難いものとなっているのです。そして、産まれてから六十年会ったことのない妹に、一度だけあってみたいのです。

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