「仙人谷の小屋開け騒動記2007」

このエッセイは2007年、練馬山の会会報に一部掲載されたものです。
練馬山の会(旧友) 堀江三太


私の分身みたいな男がいる。歳は私と同じ55歳。
給排水設備の工事屋さんで、岩魚釣りが好きで、ロッククライミングやアイスクライミングをする山屋さんで、囲碁が三段で、文章を書くのが好きで、身体に酒の臭いの切れ目がない、といった多芸多趣味な男である。
だけど一番似ている事は、おいしい所は先取りして、後はそつなく無難にやり過ごそうとする生き方だろう。
名前は高橋重夫、人よんで「魚止めの重(うおどめのしげ)」と言うらしい。
 その重さんが、何年か前にもう一つのあざなを名乗りだした、「 黒部の仙人」。 北アルプスの剣岳にほど近い、仙人谷の1500m地点に建てられた仙人温泉小屋の権利を買い取って、毎年7月から10月まで小屋の親爺をやりだしたのだ。
私はその小屋に毎年行くようになり、去年からは小屋開けの準備にも駆り出されている。 今年も6月14日の夜から、私が所属する山岳会の伊藤さんと車で富山県の宇奈月温泉に向けて出かけた。 伊藤さんは、その昔、「新座山の会」で重さんの同僚だったということで、私が声を掛け二人で行く事になった。

 15日の早朝6時に、黒部峡谷鉄道の宇奈月温泉駅で、重さんや富山で農家をしているNさんと落ち合った。 7時11分に黒部渓谷鉄道の作業員専用列車に、私たち4人も作業員として乗り込んだ。 ダム関係の運営者や工事係員以外では、山小屋組合の作業員にだけ関西電力が黒部渓谷鉄道と、その先の上部軌道の乗車特別パスを出してくれているのだ。
  8時30分に黒部渓谷鉄道の欅平駅に着いた。 それから発破で岩盤を爆破して底を平にしただけの、荒削りな岩肌のトンネル内に敷設された線路上を10分ほど歩き、岩盤の中に穿たれた200mの縦坑をエレベーターで上昇して、吉村昭の「高熱隧道」と言う小説で有名な、上部軌道の駅に出た。
私たちは耐熱電車という蒲鉾のような形の車両に、背を屈めて乗車した。 黒部渓谷沿いの登山道である通称「水平歩道」は、欅平駅から仙人谷ダム駅まで約7時間の歩行距離らしいが、私たち4人は、正に地下鉄で約20分後の9時30分に、仙人谷に架けられた鉄橋の上の駅に到着した。 昔、工事中は高熱隧道の高熱部は160度だったらしいが、トンネルの方に歩いて行くと、硫黄の臭いのする熱気に晒されて、このトンネル工事をした職人達の灼熱地獄が偲ばれる思いだった。
いつもなら水平歩道を阿曽原小屋まで引き返し、そこから登り始めて阿曽原峠に至るのだが、今日は関電の送電線鉄塔の保守用登山道を登って、直接、阿曽原峠まで行く事になった。 その理由は、なんと小屋で食べるマムシを捕まえる為らしい。
 仙人は霞みを食って生きているはずだが、この重さん仙人は霞の他に、マムシを食べたいとは、よほど念力が減退してきているのだろう。 重さんは先頭切って、マムシを捕り込めやすい大きな口の焼酎のプラボトルを持ち、鵜の目鷹の目でマムシを探しながら歩いていたが、結局、見つけたのは極上のワラビだけだった。(左の写真)
 11時20分に仙人谷を埋めている雪渓の上に降り立った。 今年は雪が少ないとの事だったが、谷の底をほとばしり落ちているはずの激流の水音は、雪渓の厚い雪の層で遮断されていた。
我らは靴にアイゼンを装着して、ウグイスののどかな鳴き声に耳を傾けながら、雪の斜面を一歩一歩踏みしめて登り、仙人温泉小屋に近づいた。
曇り空で、時々霧が湧き上がる天候だったが、その霧の先の新緑の木々の間にかいま見えた源泉場は、厳冬の風雪に晒されただろうに、相も変わらず、茶褐色の岩盤の割れ目の至るところから、硫黄の臭いと、灼熱の噴気を立ち上らせていた。 左岸の緩く傾斜する丘の上の木々の合間に、まだ雪に埋もれながらも青い屋根と焦げ茶の板壁で、存在を誇示する人工構造物が見えてきた時「また来てしまった!」という感慨が湧いてきた。
私もそろそろここが第三の故郷に思えてきた、としみじみと景色に見とれていたらそんな思いを掻き消すような、重さんの悲鳴が小屋の方から聞こえてきた。
慌てて駆けつけると、重さんは小屋の台所近辺の外壁に開けられた大穴を指さしながら、
「やられたよ。熊さんにやられてしまった。」と苦笑いして、何回も何回も繰り返して嘆息していた。
苦しい時や悲しい時は、その痛手が大きいほど、声軽やかに笑い飛ばすのが、重さんの常だったが、今回は野生の熊さんに、同類の親しみを持っているのからこその、自分の子供のいたずらとでもいうような、自嘲気味の苦笑いになってしまっているようだった。

 雪囲いを解いて小屋の中に入ると、そこはケモノの臭いのするゴミ溜めだった。 台所は、去年から買い置かれた酒、焼酎、ポカリスエット、ジュース、米、粉、油、缶詰その他食料の残滓が、食器やその割れ物と、鍋釜他の炊事用具などと攪拌されて、味噌と味噌のような熊の糞をかけられ、すごいとしか言いようのない有様だった。
 練乳の缶60本、日本酒、焼酎が11升、天ぷら油5缶、ポカリスエットなどは140本の缶が総て、穴を開けられ、引きちぎられて、山と積まれ、重さんじゃあないが、まったく「やられた。熊さんにやられた。」と呆れるより仕方がない状況だった。
私は熊が、それらの容器を噛んで穴を明けたのは判るが、床に落ちた液体を舐めたのか、或いは手で持ち上げて口に流し込んだのか、興味があって残材を観察したり、ゴミを除けて床を見たりしていた。
 その時、又、重さんの
「ここで冬眠したんだ。普通、人の臭いのするところには、長居をしないんだけど、人を恐れもせず冬眠してしまったんだ。」という驚嘆の声が聞こえた。
私はその声に導かれて、やはりゴミだらけの居間に足を踏み込んだ。 部屋の奥一辺に押し入れがあり、たたんで積みあげられた布団の山がある。 その布団の山の真ん中に、直径1メートルほどの綿をぶちまけた熊さんの背中の丸みそのままの寝床が作って有った。
私は、熊さんが、ここに丸まって寝ていれば、テレビ漫画にでてくるムーミンのようで、さぞかし可愛かったんだろうなと思えてしまった。
明るく振舞ってはいるが、心の内は嘆いているであろう重さんにはとても言えない裏腹な自分の思いに、もっと重さんに親身になってあげなければと反省した。
しかし、その後、気が重いはずの重さんまで、笑いこけてしまう情景が、玄関先にあった。
熊は、玄関横の工具棚にあった赤ペンキのスプレーに、歯形の穴を明けてしまったらしく、赤ペンキが噴射して辺り一面が真っ赤になってしまっていた。 多分、この分では、口の中から、顔、頭、もしかしたら体中、真っ赤になっているであろう熊さんをまぶたに浮かべてしまい、重さんと言わず我ら全員が、仙人谷の赤熊という突然変異な新種熊の出現に笑いこけた。
 酒の入っている缶は、総て破られているのに、赤くなってしまった酒缶や練乳の缶が無傷なのは、熊さんも、さすがに赤色には懲りたという事か。まあ、愛嬌のある熊さんだ。
 しかし我らは、熊さんショックから立ち直って来ると共に、深刻な問題に思い至った。 小屋に食料が有るという前提で来たのだから、冗談ではなく霞みを食うかマムシを食わなければ、我ら一同は餓死してしまう状況に気がついたのだ。 それからは笑いも失せてゴミの山を漁った。 結局、食べられる物といったらインスタントラーメンだけだということが分かったが、その時は不幸中の幸いと思えた。
 しかし、熊さんも猫跨ぎしたラーメンだけあって、昼、夜、そして次の日の朝と食うと、昼飯のラーメンがまるでブタの餌に見え、夜にはついに麺の臭いが鼻について、とても食えなくなった。
小屋の廻りはコシアブラ、雪笹、ウド、姫竹と山菜の宝庫だけど、残念ながら天ぷら油が無く、来るとき採ったワラビも、アク抜き剤が無く、いつも味わっているので、今回も期待して来た山食生活が、台無しになってしまった。
だが熊さんもビールは100缶ほど、穴を開けずに残してくれる味なはからいを見せてくれて、2日目にはゴミの中から紙パックの日本酒半升と、マムシ酒を見つけ出したので、赤ペンキで守られた日本酒缶2本とで、舐める様にして飲む最低限の宴会の喜びは味わえた。
 第1日目の作業は山中にポリチュウブ管を引き回し水道を引き、小屋のゴミ掃除、ゴミ収集と集積、布団干し。第2日目の作業はワイヤに保持させてポリチュウブ配管を谷越えに渡し、谷向の源泉を通水、源泉プールの整備、小屋の床の糞落とし水洗い、ヘリポートへのゴミ集積。第3日目は、糞まみれの食器洗い、BSテレビアンテナセット、その他、作業は結構ハードだったけど、2日目の夜に、1500mの高嶺で、夜空に瞬く星明かりの下、五竜白馬のスカイラインを見ながら、源泉の露天風呂に浸り、ビールを煽り呑んだら、この世に今の俺達より幸せな人が、いる訳がないと確信が持てた。
 私は後何年この天国に来れるのだろうかと、思わず指を数えてしまった。 草木の露をキラキラ輝かせる朝日を浴びての露天風呂でも、眠気が吹き飛び、英気が養われて、思い出に残る良い経験をさせてくれた熊さんに、素直に感謝できる気持ちが湧いてきた。
 小屋から谷越しに見上げる白い雪のガンドウ尾根の一点に、ちょうど熊が仁王立ちしているような形の、モミと思える大きな木が見えた。 重さんがその木を指さして「熊さんが、あそこから俺たちを見張っている。」と言った。それからは、その熊さん姿のモミの木が気になり、いつも見張られているようで、薄気味悪くもなってきた程だった。
 しかし、帰る時には、あれやこれやと騒がしたけど、またこの谷を熊さんに返すよと、その熊さん姿の立ちモミに、名残惜しそうにお別れを言った。
何と言っても、この谷では我らこそが異星人なのだ。
17日10時30分帰路につき、もてあました時間で山菜を採り、14時49分に仙人谷ダム駅より、件の地下鉄で熊のふるさと秘境黒部を後にして16時35分に宇奈月温泉に至った。


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