風と土の記  《風の譚》

亀  谷  昇

私は、生まれてから今日までに住居を14回変わっている、その中で彼女は自分の意志とは関係なく6回荷物と思い出の整理を行って来た。『あんたと出会うまで大阪離れた事なかったのに・・・』不定期にヤドカリの如く住まいが変わり転勤先では不動産屋を探し気に入った町を見つけ、大好きな山と清流の川が近い土地で四季を味わう。家族で川べりの春風に吹く桜吹雪を眺めたり、どんぐりを取りに子供たちをつれて街中の小さな小高い公園でそよ風に弁当を広げたりの楽しい思い出も多く記憶している。流転癖か生まれ持ってのものなのか私は出張が多くビジネスホテル・旅館・民宿・カプセルホテル等、はては友人の家で下宿まがいの生活をしては転々と寝床を変える流浪人のような生活をしてきた。その数も入れると一宿の寝床は数えきれない・・・・、だからどこででも寝れる。
ありがたい事に、仕事に疲れても彼女が守り帰れる場所が必ずあるのには感謝している。それがあるがこそ、勝手気ままに仕事に励み人生を楽しんできたんだと相棒のO君は一緒に山で飲むたびに「お前はなぁ〜もっと感謝しろよ」といつも笑ってなじるのでした。

TVの「ケン○ン・ショー」の転勤夫婦までとはいかないが仕事が営業であったが為で、私は行く先々で趣味が登山ということでいろんな人と仲良くなり山に登った。知らぬ間に「百名山」の半分近くを登ってしまった。今、自分がやりたい事の目的の為、深田久弥の故郷・石川県の加賀市で毎日白山を眺めて暮らしている。残念だったのは今まで転居先ではその土地の料理の旨さに驚き、出会った人に喜び見知らぬ伝統行事にも参加して新しい友達、得意先や近所の知人となじむ頃に変わっていくことが常にもなったものである。
なれない土地での生活の緊張感や違和感は新鮮さを感じると同時に心ともないもので、なじむまでの間言葉は伝わるが本当の気持ちがわかるまでは時間がかかるものだ。その土地と人との摩擦熱にすり減った神経でも私は好きな山にこもれば気が晴れたものだが、私が不在の夜、彼女は台風の強風に眠られない夜を幼い子らをなだめ世話しながら過ごしてきた。その子らも巣立って彼女はひとりで家を守っている。

私の登山の始まりは『憧れと逃避』からである。幼い頃から必ず近くに魅力的な山があった。たとえそれがロープウェイのある山でも、200メートル足らずの低山でも同じである。
日常から非日常へ体と心を置くことで詰まっていた皮膚呼吸が汗を流して治癒回復する、
山小屋で出会った自称山屋の人がかっこいいブランドウェアと言葉で自分の登山歴を自慢し喋っていても「そうですか良かったですね」と相槌うち聞き流してきたのは山に逃避し癒される自分が恥ずかしかったのか、悔しかったのか少し違う人種なのだなとつくづく思うからだろうか・・・。
「立山・富士山・白山」の日本三霊山が私の登山歴に深くかかわっている事実は人生において不思議な縁を感じずにはいられない。それぞれの山を思うと関わってきた人々の顔が浮かんでくる。18歳の時に初めて山好きの先輩に連れられ、6月の残雪を踏みながら初心者の私がいきなり3000メートル級の剣岳に登頂した。汗に濡れる綿のラガーシャツに塩がふいても心地よい肌にやさしい風、頂上の祠の横で自慢げに笑っている新しいニッカポッカを履いている私の写真が今日にいたる登山の始まりである。剣沢雪渓を下って『あのずっとずっと先には仙人が温泉に住んで魅力的な『モンローの唇』が男どもを誘惑する楽園があるんだ』と先輩は私にランタンの灯の明りと酒に酔って教えてくれた。その言葉をずっと忘れていたが、30年後に木曽の山小屋で高橋仙人と出会いそのことを思い出し縁を感じて少し関わっている私がいます。

「富士山に三回登るものはバカ」と言われるが私は6回登ったダブルバカです、もっと回数の多い富士山愛好の登山家の方も当然いるでしょうが・・・。そのうち1回は仕事の上司、同僚を連れて登ったもので、小笠原諸島に台風接近の予報にまだここは大丈夫と判断したが八合目途中から、岩にしがみつく上司の雨合羽、(実はゴルフ用の白いビニールのレインコート)の音がバタバタして下から吹き上げる暴風と雨に恐れをなし上司は動けず、八合目小屋の明りを目にはするがそこで断念してヘッドライトをたよりに逃げて下山したこともある。夜11時頃、富士宮のファミリーレストランでハンバーグ定食をホッとしてむさぼったのを覚えている。ただ、やけに興奮して手が震えてはいた。
一人の人間として社会的地位・権力・肩書きなど関係なく脱ぎ捨て俗社会を持ち込まない山が好きだ。一緒に風呂に入り汗を流し少しの酒で山の話をする。打算や駆け引きもなく、一人の人間として素朴に話ができる山に気持ちのいい風がいつも吹いていた。
そんな関係で一緒に富士山登山からはじまり白山、立山、八ヶ岳、日帰りの近郊の六甲山、甲山等いろんな山を楽しみに登り、日常のON・OFF切り替えを行い企業のトップと会社の食堂で昼食を食べながら山の友でいられた事はありがたいことでした。打算や駆け引き姑息な噂話が得意な連中は世の中に確かにいる。『正直者はバカを見る』というが自分はバカだから正直にしかできないと思う。
不純なまざりのない風にあたったことのない連中は訝しげな目で遠くから視ていたが・・・。自分が生きてこれたのは山に吹くいい風のおかげだと思う。

風の色をあらわす言葉に青葉の上を吹きわたっていく爽やかな風は『緑風』、秋の野山に、吹く様子は見えないけれど確かに秋のひびきを持つ風を『色なき風』と呼ぶそうだ。
黒部の仙人谷に吹く風は季節で薫風・青嵐・油照り・いなさ・野分・冷風・いろんな風が感じられ雲切新道を仙人ダムからボッカし登る途中に「仙人の腰掛椅子」と、呼ばれる一休処に微風ではあるが黒部川の底から吹き上げる風が吹く。まさに風景にとける風の色を感じる場所である。本当に気持ちのいい風である。日頃、出会いふれあう人々に私はそんな風になりたいと思うのだが、まだまだ業が強いのかやたらつむじ風が多く未熟でなれていない。登山の時、人の五感を静かにとぎすませば・視・聴・嗅・味・触で、風は全てに通じて感受することができるであろう。
風は人の生活に重大な影響を与えるため、昔から人々の風に対する関心は深く、しばしば信仰の対象となり、伝承の中で神や精霊などの超自然的存在として生活に関わってきた。
私はいつも心が風になく風鈴のように揺れているが吹きだまりがないように濁らず澱まぬように生きたいと思う。思うがまま、流れるままにまかせて必ず前を向いていたいと願う。

×の山がよかったと登頂を数えるピークハンターでもなく、体力を自慢しコースタイムを競うでもなく、仲間と歩く六甲山の低山コースも好きだし、ひとりの北アルプスも好きでネパールの石畳の山道もいいと思う。週末のお客様用に仕事を休んで大阪から卵を20個割れないように新聞で梱包し急登の雲切新道をボッカして無事仙人温泉小屋にたどりつき割れていないのを自慢したことはあったけれども・・・。雲切新道を仙人ダムから急登を登ったら別名に自分勝手に『仙人へのロード』とよんでいる。ボッカしヘロヘロになりながらも仙人小屋が見えるのぞき場に立ち大声で叫ぶと、小屋で待つ仙人達がタオルを振ったり笛を鳴らしたりの歓迎に胸が踊るのだ。卵を待っていたのか私を待っていたのかは追及してはいないが(笑)

「風に吹かれて」「風になりたい」「風に乗って」「風の音・・」「風と水」等、古来から風にまつわる言葉が好きなのは生まれついての流人なのか変わり者なのか、転々としていつも風に吹かれていたいと願う。「あんたはいつも、いて欲しい時にいないのね、あの時も、あの時も・・・」、彼女はあきれ顔で登山帰りの土で汚れた洗濯物をとてもきれいに洗ってくれる。
白山の麓で暮らしはじめて初めての冬に土地の人がその母親のようなやさしい稜線をながめ憧れと厳しさを持つ土の大きな塊の山を白山と呼んだ意味がわかった気がする。信仰登山の巡礼者の如く歩いていたい。風が鳥とともに運ぶもの、飛ばすもの、消すもの、その後にはどこかから又、飛ばされてきて土に落ちた種子の芽が土地に不調和に出はじめる。やがてそれも自然となりその土地に同調し融合し新しいものが生まれる大自然の繰り返しが今日まで続いてきている。

人には「風の人」、「土の人」がいると思う、男と女もそうなのかもしれない。風の人と土の人が交わりそこに「風土」ができ歴史が始まる、山岳信仰で山をめざした人々は風となり水と交わり土となる、自分は生まれ持ってのものなのか、山が好きだ。ゆるぎない土の塊に逃避と憧れが重なり好きなのはそのせいだと思う。    
 《土の譚》へつづく

Copyright(c) Sennin-Onsengoya Allright Reserved.

戻る