山から下りたときに考えること その2

「不便と便利」

田中 正祐紀

空に浮かぶ雲を、よく見るようになった。以前は、雲なんか何が面白いのか、と思っていた。
あるとき、そうか空と雲は自然そのものだ、毎日違っていて、人間の手の及ばない存在だと、気がついた。
それに比べて地上の景色は、なんと人工的なのだろう。人間が手を入れた物ばかりだ。 建物、道路、橋、公園、川、山、みんな人が関わっている。
川は土手で遮られ、流れをブルドーザーやショベルカーで変えられている。 山にはスギやヒノキが植えられ、日当たりがいいところは人工林ばかりである。 それに林道や砂防ダムが山肌をえぐっており、高圧電線の鉄塔も通っている。
このように、よく見れば地上には、自然があるようで少ない。 地上はこれでいいと思う人、そんなこと疑問にも思わない人も多いが、 私は人間の手が及ばない自然があるなら、それに関わっていたいと思うようになった。
だから、地上よりも空や雲を見てしまう。 そして、できるだけ人の来ない山、高く深い山に入っていく。
食料と水、テントを担いで山に入る。2・3日を過ごす。家に帰る。 毎年2・3回、一人でこれを実行する。 山から下りて、いつも感じることは、現代の生活は、なんて便利なのだろうということだ。 蛇口をひねれば水が出る。飲み放題だ。お湯のシャワーも、給湯器のスイッチを押すだけで、浴びられる。 食べ物は冷蔵庫で貯蔵でき、いつでもコンビニやスーパー、お店で手に入る。 冷凍食品を電子レンジに入れれば、スイッチポンで食べられる。
トイレも水洗で手間いらず。 そして、ベッドで安心して眠れる。 家や車ならば、雨が降っても濡れないですむ。 暑さ寒さも、家や職場に居れば、しのげる。 特に、衣服、エアコン、扇風機、冷えたビール、ヒーター、コタツ、湯たんぽなど、様々な物があることで、 辛い思いをしなくてすむ。
一言で言えば、すべてが文明のお陰である。 上下水道、電気・ガス、建物、道路、橋、トンネル、市場、物流、通信、経済活動などが、我々の生活を支えている。 これらを整備することを都市化とも言う。 では、田舎はどうか。着実に都市化している。
 日本では、道路と電気がない田舎は、もはや存在しないのではないか。 人は便利さを求める。一度、それを経験すると、それが当たり前になる。 以前の不便な生活を忘れる。 いや、昔は大変だった、苦しかったという記憶や記録は残るが、その辛さを身をもって知る人は減っていくために、 世代を経る毎に、もう経験できない、体験したくないことになっていく。
それで、いいのか。 文明を享受し、それが当たり前と思い込んだら、いけない気がする。
例えば、地震などの自然災害が都市化の便利さを一時的に奪う。 そのときに、無ければないで、なんとかなると考えたい。 途方にくれたり、誰かに早くなんとかしろと怒鳴ったり、やたらと買い占めたりするのはいやだ。 うろたえないために、常日頃から何をすればいいのか。どんな心構えが必要なのか。
答えは、不便を経験することにあると思う。 それには人間が手をつけていない自然に身を置くのが一番だ。 さらに究極は、自給自足の生活だが、誰にでもできるものではないだろう。 登山のように、一時的に自然の中に身をおいて、自分の力で過ごすのもいいし、 文明の力の影響が少ない未開の地(南アフリカやチベットなど)を旅するのもいい。 ガソリンの使用を控えて自転車や徒歩で、不便を楽しむのもいいかもしれない。
また、人間の力だけではどうにもならない農林漁業に携わるのもいい。 そして、庭で野菜を作るのもいい。
便利さと不便さの両方を知るために、街に住み、ときどき自然に関わる。 そんな生き方を継続したい。 だから、時々、山に行き、小屋を手伝い、雲や星を見て、帰ってくる。 きっと、心の中に不便さを受け入れる下地を、作っているのだろう。

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