【時代を遡る】

Chokomaka(小森武夫)

それは、一月のある寒い日に始まった。
 最初のきっかけは、小生の家系データであり、先祖の名前・生誕・没年などが箇条書きに記されたペーパーが手元に届いた。
 なんとなく眺めているうちに「家系図にしてみようかな?」が、ヨシッ!やってみよう!になった。
 そのような訳で、小生のルーツを探る、数々の顛末を記すこととする。
 その作業は、始めてみると、以外に奥が深く、まずは、『家系図作り』から始めた、箇条書きのデーターを年代別に整理して、パソコンで、系図に変換する作業が始まった。
 現役を退いてから久し振りのドキュメント作りに没頭、出来上がって見ると、なかなかなものだ!(自画自賛)  そこまで来ると、欲が出てくるもので、没年月が不明のもの等については、このままでは、チョット物足りないな、そこで、墓地通いが始まる 、1 度や2度では、見落としがあったりなど、なかなか旨く行かない。
 墓誌に刻まれた名前・年月を書き写し、墓石の文字を読み、中には古い墓石など、文字も無いものがある。カビや苔むして解読不能な墓石、見えるには見えたが、現代では使われない語句など、それはそれは、難解で、時間のかかる作業だった。悪戦苦闘の末どうにか家系図の体をなす程度までのデーターは確保出来た。
 小生は、暫く前から「断捨離(注1)」で、もう、カメラは持たない、と決めていたのだが、どっこいそうは問屋が卸さない!写真が無いと資料が味気 ない、そこで、カメラを購入し、マニュアルと首っ引き、画像をPCへ送信方法・写真のデータが多すぎるので、その縮小方法等、次から次へと解 決しなければいけない事柄の波状攻撃だッ!しかし、それらを一つひとつクリアしなければ前へ進めない、なかなかの重労働だ!  そんな四苦八苦の末に、「家系図」らしきものが出来上がった。 ホッ!
 次に取り組んだのは、市内のある神社の板碑に先祖の名前が彫られている、と聞いたので、早速行ってみると、なぁーーるほど、あるある!  板碑の裏には「柳生心眼流 なんのだれ兵衛」「何・なに?村の誰々」と、その昔、近郷近在の剣士と思われし人物の名が列記されていた。
それらの最下段に小生の先祖の名前を読み取ることが出きた。
 しかし、それは、親族欄であった、と言うことは?  また、そこから疑問が湧いて来た、はて?
碑の表の名前は「姓」が違うし? はてはて ?  とにかくそれらの文字をノートに書き写した。
 そこからが、またハードルが高い、碑文の文字は「篆書体(注2)・草書体」などのくずし文字で、解読出来ない。
そのノートを片手に図書館通いが始まった、漬物の重しにも出来そうな分厚い辞書を、めくっても・めくっても一向に解読出来ない、一文字解 読するのに、半日、いや2〜3日掛かる文字もあり、中には未だに解読出来ずにお預けの文字もある。
 解読に当たっては、前後の文脈から推測して仮説をたてる、あるいは 文字のへん・つくりから想定する等して、辞書をめくる、ピッタリ的中した時の感激は『ヤッターーーッ!』と叫びたくなるような快感に捉われる 。
 この種の作業は、一種、登山に似ているところがあリ、頂上を目指して、一歩々々苦労して登って、頂上へ着いたときの達成感のような、何と も言えない満足感に浸れる。

そのような作業を繰り返し、苦心の末、やっと突き止めたところ、その碑の主は、小生の先祖であったことが判った。
その碑の主旨は、江戸後期から明治にかけて、「北辰眞武一刀流」の剣道場を開き、剣術を指南したことにより、その門人及び、翁にかかわ った人々が、翁の没後に建立したものであった。
推察するに、幼少の頃養子となったため、姓が変っていたのであろう!

★剣術の流派は、まだまだ色々な流派がある。 

まだまだ続く、次は、ある神官だった先祖が、住宅を再建する際に各方面の方々からの寄附者の芳名を刻んだ碑が屋敷の敷地内に建っていて、氏名・寄附金額の記述があり、上は三百円から、五円まで、数十人の名が刻まれていた。
興味が湧いたのが、名前は、現在ではどこの方は判らないので、当時の金額を現在の金額に換算すると、いくらぐらいになるんだろうと考えた 。
さて、何を基準にした良いのか? 「金価格」が一番良いのだが・・・・・。
?ポンッ!はたと気がついた、 そうだッ!「米価」がいい! またまた、図書館通い、さて「いくら」になるのか?興味津々だ! 総務省統計局の資料を調べると、米価の変遷もその時代を反映して値上がりしているのが判った。
昭和22〜23年頃、一気に値上がりして、それまで、20円台だったものが、10倍の200円〜300円に値上がりしていたことが判った。
ちなみに、23年には急に値上がりして、「主食遅配」が起こり、全国にヤミが横行したそうだ!   当時の米価と現在の米価を換算すると、フムフム・・・『オッ!寄附金額総計は、何ん百万円だッ!』  スッキリッ!今日は、気分ががいいぞッ!『ガッテン!した。』  (★NHKの「ある番組」の受け売りではありまシェーーンッ!)  スッキリしたので、その帰りに、行きつけの飲み屋の暖簾をくぐると、 そこは、もう、別世界、これがあるから辞められない、図書館が目的か、 そのあとのビールのためか、主客転倒はお手の物。フフフフ!呑兵衛めッ!

次は「家紋」(拙宅の家紋は「丸木爪紋」)、これが調べて見ると以外と 奥が深い、木爪紋は48種類あり、  なんだ・かんだ! 織田氏・朝倉氏が使っていた云々、家紋は、日本の風土と伝統の中で培われて来 た、よって現代でも大きな役割を果たす。 ・・・・・・・・・・・・云々。
とは言ってもねぇーーッ!以前、ある結婚式に参列した際、ジーンズの 若者が居たのには驚いた。
 エェーーーッ!結婚式にジーンズかよ!!  そんな若者文化の時代、「紋付」なんて死語になってしまうのでは?  そんな気宇を抱いているのは、小生だけかな、如何かな、ご同輩!



さて、家系の年代は概ね紐解けたが、その時代の社会の出来事(歴史)はどうだったのだろう?  それから「近代史誌」「市史」を片っ端からめくる・めくる、エ−ーーとッ! 何・なに?天明1年:江戸の大火、天保12年:ジョン万次郎が遭難、坂本龍馬が脱藩したのは:文久1年か、昭和43年:三億円事件発生 当時は大 ニュースになったなあ! あの犯人は、今頃どうしているんだろう? 連合赤軍 浅間山荘事件は:昭和47年か、あの時、あの寒い中で警察がカップ麺をすすっていたのが、テレビ映像に映っていたっけ。
 あの頃を機に、カップ麺が爆発的に売れ出したのだっけ!ウームッ! カップメンは、日本発信の文化だ! そうそう、話は変るが、東洋水産(マルチャン)のメキシコのシェアは80%だそうだ、そこで手早く調理できる特徴から、メキシコでは、物事が早く 終わったりすることを、『マルチャン』と表現するそうだ、例えば、議会が 早々に審議が終了したことを、新聞が『議会がマルチャンした。』と記事にするそうだ。   フフフフッ! おもしろいッ!! おっと!横道に反れてしまった。  どんまい!ドンマイッ! 以上のような具合で、小生のルーツが、少し・ほんの少ォーーしッ解明出来た。
今回、我が祖先の足取りを遡ることにより、自分の中のDNAと、日頃 「何でもない日々の生活」が、脈々と続くことが、「家系」(歴史)となることに触れて、「命」「家族」の大切さについて、心新たにさせられ た。
折角なので、これを冊子に編集して、一族に配布しようと考えているが、それにしても、「飲み屋通い」の多かった『ルーツ探索』であった。

このように、たかだかひとつの家系を遡って調べるのにも、四方八方、 多岐に渡り、網の目のように係わって行くのだから、エジプト・インカ・マヤ等の調査・研究は、気の遠く成るような話だと実感した次第である 。
 しかし、それらは、悠久のロマンを感じずには居られない思いを感じた。
今回の調査は、江戸時代から現代の約250年程度、地球誕生の46億年からしてみると、ほんの一瞬の、瞬きのような短い時間だったのだ! 


おっと!ところで、今年の仙人谷の積雪は、 どうだろう?  熊の「雲切り太郎」の祖先は、はて? まあ!太郎に はそんなことは、どうでもいいことかな? 太郎は、今頃、雪の中で、鼻チョーチンで、楽しい夢の中かな?  アッ!!まさかッ!仙人温泉小屋の布団の中ではあるまいな! 
そんなことを考えつつ、雪融けと夏山シーズン到来を待ちわびつつ、徒然にペンを走らせてみました。      完

注1.「断捨離(だんしゃり)」:断捨離とは、モノへの執着を捨てること、老後に向けて、手帳・写真などを処分すること、モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにすること。

注2.「篆書体(てんしょたい)」広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。

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