「断食をしてみました」

仙人温泉小屋スタッフ  田中 正祐紀

人生で食に困ったことがない身であるがゆえに、飢餓状態がよく分からない。
1年程前に、小屋の手伝いをしているときに、Kさんが断食をした経験があるというので、興味を持った。
いつかは、実行してみたいと考えていた。

登山で道に迷い、食料が尽きてもなお、出口を求めて彷徨い歩くことを想像してみる。
我が身は、どこまで耐えられるのか?
空腹状態が長く続くとどうなってしまうのか?
この疑問に答えを見つけるために、ワザと遭難してみるのは無謀だ。
とりあえず、自宅で2日間の断食をしてみたので、その様子を記しておきたい。

11月の土日に旅行を予定していたが、相手の都合でキャンセルとなった。
すっぽりと、二日間の空白ができた。

先ず、一緒に生活している女房に知らせて、理解してもらう。
最初は「なんでそんなことするの」と言われた。
「自分の体がどうなるか、試してみたい」と真剣に伝えたら、納得したようで、「食事を作らなくて済むので、問題ないよ」という返事。
「食事は食べないが、水分は摂る」という説明に「お茶やコーヒーはダメ」と言う。
「どうせやるなら、水だけにしなさい」と納得させられてしまった。
また、断食中は知り合いに話したりしない、ということも約束してもらった。
女房も、結構楽しんでいるようだ。
とにかく、変人と思われなくてよかった。

金曜日の夜、最後の夕飯を済ます。
この日は町内会の会議が夜7時からあるので、女房が6時過ぎに仕事から帰宅して、大急ぎで作ってくれた。
焼きたての手作りハンバーグの味が忘れられない。

よく眠り、土曜日の朝になった。
小屋の手伝いを始めてからずっと、自分の朝食は自分で作っている。
だから、いつもだと、キャベツの千切りと卵焼き、食パンを焼いて、コーヒーを淹れるが、今日はお休みだ。
娘に気付かれないように、少し遅め(8時)に起きて、新聞を読む。
何も食べていないのに、いつも通り歯を磨いている自分が可笑しい。
女房は平然として仕事に行き、娘も「行ってきまぁ〜す」と言って出て行った。
こうして、断食が始まった。

昼飯を抜くまでは、なんなくクリアー。午後2時頃から、胃の辺りが、かすかに痛むようになり、やがて、、腹が空いてどうしょうもないという感覚が激しく襲ってきた。
水をたっぷり飲んで、紛らわせる。
行動は制限していないので、自転車で出掛けたり、庭仕事をしたり、『星への手紙』【注1】を読んで過ごす。
ただし、日課であるジョギング(6.6Km)は止める。

夕方になると、胃袋は観念したのか、落ち着いてきた。
夜7時から『シルバーサロン』の打ち合わせがあった。
これは町内会が民生委員と共に年2回開催している一人住まいの高齢者を対象としたサロンである。
集会所にお年寄りを招き、昼食を用意して、歌を歌う催しだ。
よりによって、昼食の献立を何にするかを決める打ち合わせでもあった。
舞茸の炊き込みご飯、けんちん汁、ひき肉カレー、海草サラダ、苺、バナナなど、5人の口から候補となる食べ物の名前を聞くだけで、腹が鳴りそうだった。
途中で、お茶菓子が出たが、そっとカバンの中に入れた。
家に帰ると8時半、風呂に入って、水を飲み、ベッドの中へ。
実は、こんなに腹が空いていても夜眠れるのかどうか、不安だった。
でも、暖かいフトンの中で『星への手紙』の続きを読んでいると、空腹より眠気が勝り、以外と早く寝てしまった。
夜中に2回起きたが、水を飲めば寝られた。

2日目の朝も8時に起きた。
娘は仕事に行き、女房は趣味の卓球に出掛けた。
食事を作らず食べずだと、朝の時間が余る。
新聞を念入りに読む。
読者欄に食の偽装、罰則強化すべきとの意見が載っていた。
発覚したら謝って済む問題ではない。詐欺と同様であり、法律で厳しく取り締まるべきだとおっしゃっている。
まあ、あんまり、かりかりしないで、今回信用が失墜した名店が、名誉を挽回できるかどうかを試すぐらいの気持ちがあってもいいのではないか。
過去には、賞味期限切れの赤福餅を売ったり、雪印の低脂肪乳で集団食中毒が発生したりしたが、より厳しい世間の目にされられたことにより、伊勢の赤福は売れており、雪印はメグミルクとして再出発している。
要は、新聞などのメディアで表に出る体制があり、不祥事を詫び、再発防止に努めれば、後は、我々消費者に判断を任せればいいと思う。
いやなら、このお店やホテルで食べたり、買ったりしなければいいだけであろう。
例え、自分が引っかかっていたとしても、バカな自分を笑い飛ばすぐらいの度量がほしいものである。
大切なことは、車エビだと思って食べたブラックタイガーも同じ食べ物だということだ。
「日本海の荒波にもまれ脂ののった鰤」が養殖ブリでも、そんなに大きな違いは無いように思える。
特に腹が減っている今は!

ところで、山小屋では、今回のような虚偽表示は無縁である。
登山で疲労した体を休め、栄養補給して明日の活力を養う場所だから、衛生面には気を使うが、食材を偽る必要がない。
冷凍の一口トンカツや唐揚げは、冷凍庫を置いたから出せるようになった訳だし、イワナの甘露煮を、「黒部川の激流にもまれ脂ののった岩魚の甘露煮」と言ったら笑われてしまう。
時には、近くで取れた山菜やキノコを、そのまま料理してお出しすることもあり、正直そのものである。

昼になった。
女房が万が一のためにと、炊飯器にセットしてくれたお粥が炊き上がっている。
不思議なことに何か食べたいという欲求がない。
しかし、腹の中に塊があるように感じる。胃袋が萎縮しているのだろうか。
頭は冴えており、腹以外に変わった点はない。
ということで、お粥を見送る。
外は暗くなり、雨が降り出しそうなので、庭仕事は止めておこう。
代わりに、2日前に『根本山』【注2】に登った登山靴を水洗いした。
すると、女房が卓球から帰って来た。断食の様子などを話す。
3時から『戦火の馬』【注3】という映画を観る。
いつもは映画の友として、コーヒーと柿の種を食べるのだが、白湯だけで我慢する。
食事シーンがほとんどない映画でよかった。
暗くなって娘が帰って来たが、女房と普段通りの会話をしている。
娘が夕飯を食べ始めると、臭いが気になり、見るのも辛いので、書斎に篭もり、『フェイスブック』【注4】や電子メールをチェックする。
6時半に風呂に入った。
風呂から上がった脱衣所で、めまいを感じた。
居間で女房に髪を切ってもらう。
7時になった。
頭の奥で頭痛の種が芽生えていて、気を紛らわそうと、録画していた『野生のアムールトラを探せ! シベリアの森に生きる(前編)』【注5】を見た。

ようやく夜8時になり、断食が終わった。
早速、赤い梅干の乗ったお粥を食べる。
硬く縮まった胃の中心部に、温かいお粥を感じる。
味は、だだの塩のご飯だが、体の中心部がほんのりと温かくなっているのがうれしい。
まさに滋味である。
もう少し食べられそうなので、御代わりをした。
事情を知った娘が写真を撮ってくれた。

頭痛は、まだしていたが、食べたことで気分が落ち着いた。
昨日同様、暖かいベッドに8時半に入る。
『寡黙なる巨人』【注6】を半分も読んでしまった。
9時半頃に就寝。

断食明けの朝7時に、お粥とひじきの卵焼きを食べる。
頭痛は解消し、胃の縮みも感じなくなっていた。
すがすがしい、朝だ。
デザートはバナナとミカン(汁のみ)だ。
胃が働くのが分かる。
すると、便意があり、全て出てしまった。
1日目の朝に出た後は、すっかり息消沈していた腸が動き始めた。
気分も体もすっきりとした。
風邪で、さんざん高熱にやられた後、やっと熱も下がり回復に向かっているときのような、いや、鼻づまりや喉の痛みがないからそれ以上にはっきりと、体が生きようとする力を感じる。
質素な食物でも、食べてる時や食べた後も、そのありがたみを実感できる。
これこそ、断食の効用と合点する。

もう一つ、気付かされたことがある。
美味しいコーヒーを淹れようと、豆を挽き、『根本山』の湧き水でドリップした。
臭いを嗅いでいると、あまり飲みたくなくなった。
少しだけコーヒーカップに入れ、飲んでみた。
味は変わらないが、美味しいと感じない。
3口飲んで、止めた。
そのとき、コーヒーは食が足りているときの飲物だと直感した。
飢餓状態やその回復期に、コーヒーは不要だ。
口の中に残る苦味も、好ましいものではない。

さて、今日一日かけて、ゆっくりと通常の食事に戻すつもりだ。
サバイバルを意識して実行した断食であるが、分かったことを記しておこう。

・2日間(48時間)は水だけで活動できる。
・2食抜くと極度の空腹状態になるが、3食目からは胃腸の活動が弱まり、空腹を感じない。胃が縮んだことが分かる。
・自宅断食は、2日後には(又はいつでも)食べられるという安心感があるため、精神的には追い込まれない。
・飢餓状態を経験するには、いつ食べられるか分からないという不安感が不可欠と思われる。
・2日間の絶食後、食物にありつけたときに、我が身の生きる力を実感できる。

次は3日の断食ですか? という声が聞こえてきそうだが、その計画はない。
生きようとする実感を、また味わうために、2日の断食をするかもしれない。
いづれにしても、飽食の時代に、断食はバカげた行動ではなく、意味のある行為だと思う。

今年の登山も3日前の晩秋の『根本山』が最後だ。
コーヒーの苦味をかみ締めながら、登山靴にミンクオイルを塗って、来年に備えよう。


【注1】星への手紙 串田孫一著 ふっと笑い、ほろりと涙し、人生を考える手紙集

  【注2】根本山 栃木県の山(標高1,199m) 沢コースや中尾根コース、熊鷹山への縦走あり 江戸時代に信仰の山として登られた

  【注3】戦火の馬 スティーヴン・スピルバーグ監督 第一次世界大戦の軍馬と周辺の人間たちの物語を、馬の視点で描く。

  【注4】フェイスブック インターネット上の社会ネットワーク タイムラインを通じて近況や人生を友達に知らせることができる。

  【注5】野生のアムールトラを探せ! BBC地球伝説 BS朝日放送 シベリアのトラの生態報告

  【注6】寡黙なる巨人 多田富雄著 脳梗塞で倒れ、右半身不随で嚥下障害を起こし、言葉もしゃべれなくなった大学教授のエッセイ

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