「あの温泉パイプはどうしたでせうね」

仙人温泉小屋スタッフ田中 正祐紀

昨年の小屋閉めで、温泉のパイプを吊ったままにした。
あのときからずっと、残してきたパイプが気掛かりである。
黒部の冬は厳しく、雪深い。
仙人谷の雪は、吊ってあるパイプを埋めてしまうほど積もる。
雪解けの季節を向かえると、あちこちで雪崩が起こる。
パイプの周辺に凍り付いている雪が、雪崩とともに温泉パイプを根こそぎ持って行ってしまうかもしれない。
主人は、先代から小屋を引き継ぐときに、「パイプをそのままにして帰ったら、パイプを失った」と聞いている。
だから必ず、ワイヤーを谷底まで緩めて、パイプを中央で外し、両脇の山にそれぞれ引き上げて帰ったのである。
温泉小屋と名乗っているからには、源泉から小屋まで湯を引かないわけにはいかないし、この温泉が小屋の魅力であり、生命線だ。

しかし、あのとき主人は、パイプをそのままにして帰り、翌年の6月に残っている方に賭けた。
面倒くさいからでない。ギリギリの苦渋の選択だった。

小屋閉めの3日間は、二人だけの作業になった。
運命の不可抗力により、力強い1名が急に参加できなくなったからだ。

一日目は大雨で、室内の仕事(フトンの押入れ作りなど)しかできなかった。
二日目は、昨晩からの冷え込みで初雪が降ったが、天候が回復したので、外の作業ができた。
仮設小屋2棟と脱衣所を解体して、材料を小屋に運び込む。
外の流し台と洗濯機を室内に入れる。
止水、プロパンガスの格納、熊やテンに食べられないように保存食品を容器に入れるなど、やることが、次から次へとあって、二人とも殺気立っていた。
必要なこと以外は、言葉を掛けられない雰囲気の中で、黙々と作業が進んだ。

実はこの日、私は不覚にも風邪をひいていた。恐らく熱もあったが、不思議と体は動いた。
6年前にサラリーマンを辞めてから今まで、風邪をひかないのが自慢であったが、一日目の冷え込みを甘く見て油断してしまったようだ。
とにかく気が張っていたために、咳をしながらも、二日目を乗り切った。

夜遅く、疲れきった体をフトンに横たえていると、主人が「明日、戸締りをして帰ろう」と言った。
温泉パイプを撤去するには、あと一日必要だ。
私が「帰りを一日延ばしても大丈夫ですよ」と言うと、「いや、パイプはそのままにする」という返事。
そして、「もしも、雪崩でパイプとワイヤーを失っても、もうひとセットあるから、それを使えばいい」、 さらに、「話に聞いているだけで、実際にパイプを失った経験はないから、自分でやってみて、どうなるかを見てみたい」という。
主人が小屋を始めた頃は、小屋開け、小屋番、小屋閉め、つまり小屋の仕事を全部一人でこなしていた。
だから、きつい仕事だが、時間さえ掛ければ、たとえ一人でもパイプの撤去はできると分かっていた。
だが、あえて、これ以上やらないで帰るという決断は、無理をすると予期せぬことに巻き込まれる恐れがあると直感していたからかもしれない。
このときの気配は、十分そのことを暗示していた。

三日目は、快晴だった。
なるべく生ものを残さないように食べてきた最後の朝食(確か開き魚)を、そそくさと済まし、食器棚を板で塞いだ。
仙人谷発の最終トロッコに乗るには、昼までに戸締りを終えなくてはならない。

トタンで窓や戸を覆う。
電動ドライバーの音が、仙人谷に響き渡る。
主人は、温泉パイプのワイヤーを緩めに行った。
少し緩めて、山の斜面に接する所で止めておけば、雪崩の影響が少ないと考えたからだ。
戻ってきた主人が、戸締りがはかどっていないので、急げと言う。
考えられないようなスピード、まさにデッドヒートで、戸締りが終わった。

主人は、源泉の入水口を止めるために、先に小屋を出発した。
私は昼飯を食べてから、マムシを持って、主人を追った。
仙人谷から湯のパイプを見上げたとき、「残っていてくれ」と祈った。
冠雪した後立山連峰がまぶしいくらいに光っていた。
雲切のピーク付近で、マムシを逃がした。
どんなに忙しくても、主人はこういう配慮を忘れないのだ。
下山するに従って、紅葉が深くなっていく。
そういえば、紅葉をまったく意識しない小屋閉めだった。
せめて、このときだけでもと思い、楽しみながら下った。
やがて、黄色や赤の葉の合間に主人の姿を見た。

あれから7ヶ月。
無事下山し、風邪で2日ぐらい寝込んだが、すぐに日常生活に戻った。
冬、厳冬の黒部を思う度に、温泉パイプのことが気になった。
なぜか関東でも、2月に2週連続で大雪が降り、雪の重みによる被害が相次いだ。

はたして、主人の運が強いか、自然の力が勝るか。
結果はもうすぐ分かる。

雲切太郎(注2)よ、小屋のあのパイプ、どうしたでせうね?(注1)
ええ、秋、剱岳から仙人ダムへゆくみちで、仙人谷へそのままにしたあの温泉パイプですよ。

【注1】「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」で始まる 西条八十の詩をもじりました。
  森村誠一の「人間の証明」で使われ、1977年に角川春樹が映画化して有名になりました。

 【注2】雲切太郎
 仙人谷を縄張りとする雄熊です。高橋仙人が命名。
 この熊は仙人温泉小屋で越冬したこともあります。
 この様子は、エッセイ11.「仙人谷の小屋開け騒動記2007」堀江三太著 に記されています。


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