「大いなるものを感じたことはありますか」

仙人温泉小屋スタッフ田中 正祐紀

6〜7年前の50才頃に、到底信じてもらえないような体験をした。
あっと驚くようなことでもないので、極めてささやかな出来事として、済ますこともできたが、あれ以来、ずっと心の深いところに、その記憶はあり、今でも、はっきりとその感覚を呼び起こすことができる。そして、同じような体験をした人がいるはずだと思い、ずっと気にしていたが、一昨日、それを小説の中に見つけた。この際、信じてもらえなくても、書いておいた方がいいのではないか、という心の呼びかけに従い、ここに記そう。

 私が山登りを本格的に始めたのは45才のときからだ。近くの山から登り始めて、48才で槍ヶ岳に登った。私は山登りが好きになり、トレーニングにも余念がなかった。標高480mの吾妻山が身近な練習場であり、自動車ばかりでなく自転車や歩きで、よく通っていた。新緑で覆われる5月、いつものように一人でこの山に登った。晴れていることもあり、上りでは、いい汗をかいた。ふと山頂で、下山路を変えてみようと思い、まだ行ったことのない村松峠へ向かった。峠からさらに下ると、登山道がただの道から、沢になり始める所があった。雑木林の中なのだが、やや開けた感じで、前方の若葉の緑が木漏れ日に輝いていた。風は吹いていない。鳥も鳴かず、他の登山者もいないし、下界の町の音もなかった。
足を止めて、前方の木の葉の緑に見入っていると、ふと体の感覚がなくなっていくような、周囲の木々や草と一体になっていく感じがした。『なんだ。この感じは! 気持ちいいな』と心の中で呟いた。さらにそのまま立ちすくんでいると、自分の体が周囲の自然と溶け合って、なくなってしまったように感じた。精神も安らかで、何か大きなものに包み込まれているようで、心地よい。何も考えずに、なすがままにしていた。目は開けたままだ。それが、5分続いたのか、20分だったのかは定かではないが、ずいぶん長い間、デイパックを背負ったまま、周囲との一体感を感じていたと思う。体の動きといえば、瞬きとゆっくりした呼吸ぐらいでほぼ停止。なにしろ体がなくなったように感じるぐらいだから動かす気にならない。思考は停止していて、何も考えなかった。言葉を知らない赤ん坊のように。前方の緑の葉の動きだけが、唯一の時を刻んでいた。しかも、スローモーション映像のように。
やがて体の感覚が戻って、考えられるようになったときには、こんな体験を自分がしたことが、不思議だった。特別な場所でも、すばらしい景色でもない、ただの平凡な登山道なのに、なぜ、こんなことが起こったのか。何が原因があるのではないかと、そこらを歩き回ったが、分からなかった。後日、2回、同じ場所を下山したが、そのようなことはもう起こらなかった。その後、様々な山を一人で歩いたが、二度目を経験することはなかった。どんなに人里離れた黒部のような山や谷を歩いても。

 あのときの体験が何を意味するのか、私は知りたかった。ひょっとしたら死ぬときは、真っ暗になるのではなく、あの時の木漏れ日のような大いなるものに包まれて、自然に溶け込むように、死ねるんではないかとも考えた。でも、私は死にそうになっていたわけではないので、これは臨死体験ではない。また、金縛りになって自分を外から見た訳ではないので、幽体離脱でもない。さらに、自然との一体感や自然との融和、自然に溶け込むなどの言葉も、ちょっと意味が違う。あの経験にピッタリとした言葉が見つからない。ひょっとしたら、何か宗教的な体験であり、私たちの祖先が山や自然に神が宿っていると信じた、その根拠の一つかもしれないが...

 もともと宗教には余り興味がなく、知識もなかったので、図書館でその方面の本を借りて読んだ。山折哲夫【注1】、玄侑宗久【注2】、立松和平【注3】などの本や小説を読むと、禅や修験道にそのヒントがありそうだった。特に、鎌倉時代に永平寺を開いた道元【注4】は、仏像や念仏によらず、日々の生活こそ修行であるとし、ひたすら座禅をした。その結果、『身心脱落(しんじんだつらく)』の境地に達すると悟ったそうである。『身心脱落』、今は誰も使わないが、身も心も一切の束縛(それは人間の欲望や執着からくる)から解き放たれ、自分のあるがままの姿に戻った状態ということで、あの体験に近い言葉である。一時期、私も自宅の和室で40分ぐらい座禅をしてみた。でも雑念が多く、当然、身心脱落の境地は訪れずに、長続きしなかった。
実は、NHKが作った《永平寺》という2枚組のDVDがある。1枚目は私が座禅をしていた頃に見たもので、78代目の住職【注5】のお話で、立松和平がインタビュアー。一ヶ月ほど前に、ふと2枚目を見ていないことに気付いた。永平寺で修行する雲水【注6】の様子を四季に渡って取材したものだった。その中で、一週間の集中座禅を終えた雲水の一人がこう言ったのである。 「座禅をしていると周りの雰囲気と一体になれる」 やらせかもしれないし、優等生的な返答かもしれないが、やはり座禅には、あのときの感覚と似たことが起こるのでないかと思った。もしそうだとすれば、私は何の修行もせずに、偶然その境地に入ってしまったことになる。でも、登山では、二度とこの偶然は訪れそうにない。道元の座禅、恐るべし。

 ところで話は変わるが、山登りと読書のやり方には、人によってクセがあるようである。百名山にこだわる人が、書評や友人からの推薦本や○○賞の本を読んでいたりする。私の場合は、登った山が次の山を教えてくれるように、読んだ本の著者が次の本の著者を知らせてくれることが多い。槍ヶ岳に登ったときに、次は穂高だなとか、八ヶ岳から北岳が見えれば、次はそこにと決めるのである。著者は山の名であり、作品は登山道のようだと考えている。
さて、座禅をしていた頃から仙人温泉小屋を手伝うことになり、主人から西行【注7】と桜が好きだと聞いた。西行については、あまり知らないので、さっそく図書館で『西行花伝』を借りた。著者は辻邦夫だった。西行の和歌で生涯を綴った小説であり、西行も辻も好きになった。辻邦夫のエッセイを読んでいると、しきりに北杜夫(どくとるマンボウ)が気になる。どうやら二人は友達だなということで、次は北の本『楡家の人々』などを読む。北杜夫をみんな読んでしまうと、次は遠藤周作(狐狸庵先生)だ。その遠藤は阿川弘之を勧める。阿川弘之を読んでいたら志賀直哉に行き着いた。どうしよう。受験のために教科書で本の名前だけ暗記した『暗夜行路』【注8】である。
どんな本でも、読んで(登り始めて)みて、つまらなかったり、自分に合わないと思ったら、そこでやめればいいだけだ。(本の場合は下山しなくていいので助かる)
ということで、一週間ほど前から読み始めた。明治から大正にかけての本で、遊郭や引手茶屋の女との遊びのことをあっさりと書いている。前編はやや退屈だったが、後編に入り面白くなる。大概の山も、登り始めより、見晴らしが利くようなってからがいいのに似ている。そして、偶然にも唐突に、私のあの経験とそっくりな場面に出くわした。

主人公は、自分が留守中の妻の過ちを赦そうとするのだが、心から赦せるようになるために、京都の家をしばらく離れることにした。行き先は、伊勢神宮で知り合った人から聞いていた島根県の《大山》【注9】だ。その山の中腹の寺が霊場で、泊めてくれるというので、一人で旅に出る決意をした。途中、城之崎温泉や応挙寺などに立ち寄り、天台宗の大山寺にやって来る。やがて、大山は信仰の山なので、一度は登りたいと思い、主人公は山案内人を探した。そして、大阪からの登山客と一緒に夜出発し、山頂で御来光を見るという計画に乗った。だが、不覚にも出発の日、昼飯の鯛にあたり、下痢になってしまった。 しかし、折角の機会だからと、無理やり薬で抑えて、予定通り出発した。
「六根清浄、お山は晴天」こんな掛け声で登って行ったが、なにぶん力が出ない。とうとう登ることができなくなり、「私は此処から帰るので、心配しないで残していって下さい」と言った。
主人公は登山道近くの萱(かや)の生えた落ち着きのいいところで、山を背に腰を下ろした。「六根清浄、お山は晴天」が2〜3度聞こえたが、やがて静寂の中で一人になった。風が音もなく萱の穂を動かすほどに吹いていた。

 以下、本文をそのまま引用する。 『疲れ切つてはいるが、それが不思議な陶酔感となつて彼に感じられた。彼は自分の精神も肉体も、今、此大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然といふのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでゐる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、それに還元される感じが言葉に表現出来ない程の快さであった。何の不安もなく、睡い時、睡りに落ちて行く感じにも多少似ていた。一方、彼は実際半分睡つたやうな状態でもあつた。大きな自然に溶込む此感じは彼にとつて必ずしも初めての経験ではないが、此陶酔感は初めての経験であった。これまでの場合では溶込むといふよりも、それに吸込まれる感じで、或る快感はあっても、同時にそれに抵抗しようとする意思も自然に起るやうな性質もあるものだった。しかも抵抗し難い感じから不安をも感ずるのであつたが、今のは全くそれとは別だった。彼にはそれに抵抗しようとする気持は全くなかつた、そしてなるがままに溶込んで行く快感だけが、何の不安もなく感ぜられるのであった。』【注10】

 この後、主人公は、なんとか寺に辿り着くのだが、高熱を出して、長いこと寝込んでしまう。生死の境を彷徨っているところに、京都から妻が来て、手を握り合って、この小説は終わる。

 引用部分を読んだとき、私のあの体験を克明に記述しているようで、ビックリした。昼と夜の場面はもちろん異なるが、置かれた状況は同じで、しかも登山。経験した人しか到底書けない文章ではなかろうか。そして、素晴らしい表現力(相手は文豪であり当然か)だった。『これは小説の形をとっているが、実は志賀直哉の実体験ではないだろうか』と思った(いや、そう確信してしまった)。でも、解説の中で、阿川弘之は、自伝的小説というだけで、大山での体験については、特にコメントしていない。調べると、志賀直哉(当時31歳)は大正3年に主人公と同じ寺に滞在し、大山にも登っているという。やはり、実体験だと言えば、誰も信じてくれないので、小説で表現したのではないだろうか。

 今から100年前に、山登りで同じ体験をした小説家がいた。そして、780年前の道元も中国で座禅修行中に、それと、10年前の永平寺の雲水もである。あの体験に何の意味があるのかは、誰も語ってくれないが、私以外に経験者がいることを知っただけで十分な気持ちになった。たとえ、どんなに虚構や幻覚、思い違いや勘違いが混じっていたとしても、科学的根拠がないと言われても、大いなるものの存在を信じたい。たぶん、次にあれがやって来るのは自分の死の直前だろう。そのときは、もう誰にも語れないが...
このエッセイを神が宿るといわれる仙人谷に奉げる。
平成26年12月22日


こちらにこのエッセイ原版があります。ご覧下さい。

脚注
1)山折哲夫(やまおり てつお)1931-
 宗教学者 豊かな自然から生まれた多神教を勧める。日本人と宗教に関する著作多数
2)玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)1956-
 現職の僧侶であり、小説家。福島県三春町在住。死を見つめる小説多数。
3)立松和平(たてまつわへい)1947-2010
 小説家 栃木県生まれ。『毒 - 風聞・田中正造』、『道元禅師』など。ニュースステーションに旅のレポーターとして出演
4)道元(どうげん)1200-1253
 永平寺初代貫首。曹洞宗の開祖。『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞうずいもんき)が道元の教えを理解しやすい。
5)宮崎奕保(みやざき えきほ)1901-2008
 永平寺貫首。106歳で亡くなるまで道元の教えを守り、95年間座禅をした人。DVDは104歳の時に撮影された。
6)雲水(うんすい)
 修行僧のこと。修行として座禅、読経、食事、作務、托鉢などをする。永平寺には二百余名の雲水がいる。
7)西行(さいぎょう)1118-1190
 歌人、僧侶、武士。伊勢神宮を参拝したときの「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」がいい。
8)暗夜行路(あんやこうろ)
 志賀直哉の長編小説。 時代背景は明治から大正にかけて。 主人公は時任謙作(ときとうけんさく)
9)大山(だいせん)
 鳥取県の山。標高1,729m。別名は、伯耆大山(ほうきだいせん)、伯耆富士(ほうきふじ)
10)志賀直哉全集第四巻 暗夜行路 後編第四19 時任謙作が大山の登山をした場面から引用

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