「最後の闘魂」

黒部の仙人(高橋重夫)

拝啓、仙人谷におわします神々の皆様。
高橋仙人は今年、積雪の重みで大破した小屋の現状を見て、自然の破壊力の凄さを思い知らされました。
14年仙人谷に通って初めて人間の限界も感じたのでした。 6月19日に小屋の内部に入って、我が目を疑いました。
柱が傾いて、窓のサッシュが全て平行四辺形になっているのでした。ガラスが粉々になって、もう修理不能なことは一目瞭然。なす術もなく立ちすくむだけでした。テンが大暴れして足の踏み場が無いことも、些細な出来事のように思えるのです。
「これでは登山者に利用してもらえない、休業して建て替えるしかない」 と思った。
建て替えるとしたら、資材で200万、職人の手間賃が200万、荷揚げのへり代が200万、雑費が100万、は最低でも入用だ。 恥ずかしながら仙人はそれだけの蓄えを持ち合わせていない。64歳の職人はその日、その月が暮らせる程度しか稼げない。
貯蓄をするためには毎晩6本飲んでいるプレモルを第3のビールに替えて、量も減らさなくてはならない。 晩酌の肴に毎回楽しんでいる刺身を、焼き魚に代えなければならない。月に一度温泉宿に泊まって養っている鋭気を自宅の風呂で代用するのは、淋しいことだ。
銀行に頼めば500万ぐらいは貸してくれるかも知れない、10年のローンで返済することは可能だろう。が、だ。10年後の仙人は74歳だ。
そんな年齢までローンのために働くのは切ない話だよ。
来年から国民年金がもらえる。その年金を全てつぎ込むのも、また情けない話だ。
宿泊棟が大破した時も神仙組の皆に 助けてもらって、3年がかりで修理をした。今回も3年かける積もりで、修理をしよう。出来るか出来ないかではない。やらなければならないのだ。
仙人温泉小屋は生き甲斐であり、仙人としての生活の全てだ。この小屋が倒壊する時には俺も倒れるだろうよ。生きる張り合いを無くした人間は廃人同様だぜ。そんな姿、有り様で生き長らえているくらいなら、さっさと世の中に暇乞いをした方がましだね。
19日は仙人と堀江。20日は大西、小野、小森、田中、原田と神仙組の男衆が小屋に顔を揃えた。
天気が良くなくて小屋開けらしい仕事は出来なかった。けれど、昨年の秋に下山してから7ケ月ぶりの再会だ。
登山道で摘んできたワラビ、根曲がりタケを肴に今年の健闘を祈って痛飲しながら思った。頼もしい仲間に囲まれて仙人は幸せだ。仙人温泉小屋も幸せだ。
小屋はなんとか成る。必ず修復出来る。と確信して眠った。
小屋の営業を引き受けてから14年目になる。当時の仙人は50歳。まだ健康にも体力にも自信があった。過剰なくらいの自信があった。が、だよ。今年は風邪を引いても治りが遅い。病院の薬をしっかり飲んでも一週間では治らない。グズグズ、ダラダラと風邪の症状を引きずりながら仕事をしている。
四谷三丁目の現場に通っているが、中野辺りの甲州街道にさしかかると、咳が出始める。もう10日も痰がからんで胸の調子が悪い。次回の上山は7月7日を予定している。それまでには、体調を万全にしたい。
毎年、健康診断を受けている。保健所に提出する便の細菌検査もふくめてだ。山小屋とは言え、宿泊者に飲食を提供するのでそれなりの資格と当局の指導を受ける。保健所の職員の皆様も山小屋を一軒、一軒歩いて巡回するので大変ですけれどね。 つまる所、万人は常に健康でなければならない。心身共に健やかでなければ平穏な日々を過ごせない、と痛感した次第だ。
神も仏もあるものか。頼れるのは自分だけだ。自分の力だけだ、と意気がっていた10数年前と違って、体力気力ともに自信の持てなくなったいまは、朝に晩に神仏にひれ伏してお願いする日が多くなった 厚かましくも、今回は特別に仙人谷に宿る神仏に祈らずにはいられない。
どうか、こよなく仙人谷を愛している山小屋の親父に、最後の闘魂を授けて下さいますようにお願いします。
敬具


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