「Mちゃんのこと」

仙人温泉小屋スタッフ:大西達矢

仙人温泉小屋の食堂談話室奥には女性写真が飾ってあります。
それは8年前の夏、中央アルプス麦草岳頂上で撮ったMちゃんの写真だ
Mちゃんは仙人温泉小屋へは一度も来たことがない
いや、来たくても来れなかった。
この写真を撮って2ヶ月後に北アルプス北鎌尾根で落石に遭い滑落してしまった。
29歳だった。
優しい高橋さんが飾って下さった。

その夏はMちゃんと一緒に仙人温泉小屋へお手伝いに行く約束をしていたが 自分の都合で中々予定日時が決まらない中、友人のSとSの長男との3人パーティーで北鎌尾根縦走登山を先に予定してしまったのだった。 滑落する10日前にMちゃんと木曽の夏祭りで一緒に車で行った時、北鎌尾根縦走登山の話しをしているMちゃんの嬉しそうな笑顔は今でも忘れられない。
 あれから、もう8年も経過してしまった。
あの日の明け方の肌寒い夏は忘れもしない 8年前の8月11日夕方17時頃仕事をしている時だった。
お盆休みに仙人温泉小屋へお手伝い行けるように仕事をこなす為に残業の準備をしていた。
携帯電話が鳴り響いた。友人Sの奥さんからだった。よく聞き取れない泣き叫ぶような通話の中で、Sが北鎌尾根で滑落してしまったと言う内容がようやく聞き取れた。
この時はよく詳細がわからなかったのだが、滑落をまぬがれたSの長男が北鎌尾根から携帯電話により救助要請をして自宅に電話を入れ自分の所へ連絡が来た流れであった。
Mちゃんは約50メートルの滑落で夕方のヘリにより収容されたと言うことであった。
数百メートル滑落したSは日没により、その日の収容は間に合わなかった。 その時は電話で逐一状況確認している内容が信じられなかった。友人のSとは2ヶ月前に仙人温泉小屋の小屋開けに一緒に行った帰りに宇奈月温泉で 今度はゆっくり飲もうと笑顔で別れて以来である。
Mちゃんとは10日前に仙人温泉小屋へのお手伝いは絶対に連れてってよと約束したばかりであった。
その時は信じられない状況を受け入れる事は出来なかったが、仕事を放り出し 着の身着のままで、収容されたと言う長野県警大町警察署へ車で向かった。
待ち合わせしていた静岡の友人と共に翌朝1時頃に警察駐車場に着いた時にはMちゃんの御家族と思われる車が停まっていた。
警察署入口で担当の警察官から事故の説明を受け収容された遺体が御家族の確認により 身元が確定された事を告げられた。 何かの間違いである事は叶わなかった。 この時のショックは計り知れない 心優しいMちゃんは誰からも好かれた。 何時も車で一緒に木曽の山小屋へ行く時には会話でご両親、兄弟との楽しい話がよく出た。 御家族の心労によるショックは自分よりも計り知れないものがあったであろう。
Sの友人である自分は署内でMちゃんの御家族に声を掛ける事などは到底出来なかった。 Sは翌日午前に収容された。長男のI君はビバーグした北鎌尾根から同じく午前中にヘリで吊り上げられた。
陸上自衛隊員であるI君は極めて沈着冷静に対処した。 大町警察署では山岳警備隊隊長に一睡もしていない中で状況説明を行った。
父が眼の前で滑落する時は思わず手が伸びたらしい。 彼は立派だった。 警察署へ駆けつけた友人や親戚の方々の車が署から出る時は出口で直立不動で一台一台に頭を下げた。
週末に行われた葬儀にはしっかりと喪主を務めた。 尊敬する父を眼の前で亡くして彼は人前で涙を一切見せなかったが心労は計り知れないものがあったであろう。
 今彼は陸上自衛隊の精鋭部隊配属と聞いている。 彼の様な若者が我が日本を守っていることの認についている事に自分は日本人として誇りを感じる。
 Sの遺体と対面出来たのはその日の午後だった。 血色は良く安らかに眠っているようだった。声を掛ければ起きて来そうな感じであったが、おでこが落石の影響か陥没していた。
その時自分は思った。「そうかSよ、下にいるMちゃんと長男を守ったんだな。とっさに落石を自分で受け止めたんだ、それで数百メートルも滑落したんだな」
SはMちゃんを守れなかった事を知っていたのであろうか もし知っていたのであれば長男のみが助かった事に対して無念であったに違いない。
Mちゃんの御家族は山へ導いてしまったS含めた我々を決して良く思っていないだろうという事は予想出来た。
Mちゃんの墓前に手を合わせれないのは心残りである。
 高橋さんは仙人温泉小屋前に大きな花崗岩を掘り出し加工してMちゃんとSの名を刻んで下さった。
毎年小屋開けの時には必ず花を添えMちゃんとSの事を思い手を合わせている。
自分にできる事は仙人温泉小屋へ来て頂いた登山者が安全に歩けるように登山道の整備する事だ。 単独の女性が大きなリュックを担ぎ受け付け応対していると良くMちゃんと重ね合わせて思い出してしまう。
小屋での夕食時に自分が担いで来たワインをご馳走する事くらいしかできないが、 愛する人、御家族を悲しませない為にも安全登山を願ってやまない。
Mちゃんは何時も笑顔が素敵な明るい女性だった。 常に前向きに物事を考える彼女は仕事場でも無くてはならない存在だったに違いない。
パンメーカーに勤めていた彼女は一緒に山へ登る時には良く自分の焼いている菓子パンを持って来てくれた。
彼女の働いていた工場を示すYKYのイニシャルの入ったパンを購入する事は今でも欠かさない。
Sが率いて事故を起こしてしまった登山は無謀とも言われても致し方ない自慢できるような登山ではなかった。トライアスロンをしていたS、陸上自衛隊レンジャーのI君 フルマラソンを3時間以内で完走するのが当たり前のMちゃん、体力に任せた行程だった。
ヘリを出動させてしまい多大な迷惑も掛けてしまった。 しかし、Sのとっさの身を挺して守った志、I君の沈着冷静な対処、Mちゃんの何時も笑顔の前向きな姿勢、自分はこの3人を見習い引き継いで仙人温泉小屋のお手伝いを頑張りたい。
 命日となる8月11日は昨年から山の日の祝日になってしまった。
仙人温泉小屋に来て下さった御客様には少しでも良いので石碑の前でMちゃんとSのことを思って下さい。
平成29年4月1日


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